「太平洋戦争は何故はじまったか」この疑問から歴史検証小説「大日本帝国の轍」はスタートした。今、日本人に問われる歴史認識、知っておくべき激動の40年!

大日本帝国の轍 後世に語り継ぐ歴史の真実

幕末を経て開国した日本は富国強兵の道を選んだ。
日清戦争、日露戦争を勝利したことによって列強への仲間入りを果たし、
大日本帝国の礎は着々と築かれていった。

永定河に架かる盧溝橋

永定河に架かる盧溝橋

何故、 日本は太平洋戦争(大東亜戦争)へと 突入してしまったのか。
戦争回避の道はなかったのか。
大日本帝国は何を目指さそうとしたのか。
欧米諸国による海外日本資産の凍結や米国からの石油や屑鉄の禁輸による原因だけが理由ではなかろう。
それでは満州国建国や中国本土侵出に問題があったのか。
いや、それだけでもあるまい。
真実はそこへ行きつくまでの過程に隠されている。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中全面戦争を経て太平洋戦争(大東亜戦争)突入までの約半世紀、大日本帝国はどのようにして膨張していったのか。
今、数々の事件を通してその全容が解き明かされていく。
半世紀が語る大日本帝国の轍とは・・・。 

   
  • 現在の大連港

    現在の大連港

  • 当時の大連港旅客ターミナル(1920年頃)

    当時の大連港旅客ターミナル(1920年頃)

構成

東京合同新聞社(架空の新聞社)の記者たちが数々の事件現場に遭遇し、事件の真意を検 証し、太平洋戦争に至るまでの大日本帝国の軌跡を、事件現場の写真や当時の報道記事を織り交ぜながら、わかりやすく考察する歴史検証小説。

土方  聡

大日本帝国の轍

全12章 上下2段300ページ書き下ろし

  •  1章  清王朝の終焉
  •  2章  蒋介石の台頭と日本の満州政策
  •  3章  日本帝国主義への道
  •  4章  激動の昭和がスタート
  •  5章  世界大恐慌と海軍軍縮条約
  •  6章  満州事変
  •  7章  軍国主義への道
  •  8章  中国侵略への序曲
  •  9章  国民思想の統制と戦時体制確立
  • 10章 第二次国共合作の成立
  • 11章 日中全面戦争への突入
  • 12章 太平洋戦争への道

歴史検証小説

「大日本帝国の轍」

電子書籍 kindle/google版
800円(税込)

[著者]土方 聡(ひじかた そう)

1951年東京都武蔵野市に生まれる。東京経済大学経営学部、慶応義塾大学法学部卒。
長年に渡って近代日本史を研究。「先人の声を聞く」をモットーに数々の歴史現場を訪れ、独自の歴史観から「大日本帝国の轍」を書き下ろす。

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歴史の現場・当時の新聞報道・現場の地図 現地取材で書き下ろした長編小説

歴史の現場が当時を語る!

1941年(昭和16)12月8日、真珠湾奇襲攻撃に始まった太平洋戦争。当時の日本側の呼称は大東亜戦争。そこに至るまでの道程は決して単純ではなかった。半世紀をかけ、国 内外で数々の事件を繰り返し、幾多の犠牲をはらっての結果なのだ。太平洋戦争へ突入するまでの中国、特に陸軍の軌跡(轍)を追いかけ、数々の事件現場に立ってその足跡に思いを 馳せると、不思議なことに先人たちの声が聞こえてくる。それは後世に伝えるべき事件の真相、携わった人々の叫びみたいなものだ。私たちは決して忘れてはいけない、後世に語り継 ぐ歴史の真実を・・・。

歴史の現場は当時のままに残っているところや、跡形もなく変貌している所など様々だが、現場に携わった人々の思いだけは残っている。現在、事件現場がどうなっているのか、現場 の写真を見ながら当時を振り返る。当時の満州(中国東北部)、中国本土、ロシア、そして日本国内と、あの凄惨な戦争に突入する原因となった数々の事件。約5000枚の現状写真が 歴史の面影を語っている。

  • 関東軍司令部跡(大連)

    関東軍司令部跡(旅順)

  • 満州事変の原因となった旧南満州鉄道・爆発現場跡地に建つ記念碑(9・17記念館)

    満州事変の原因となった旧南満州鉄道・爆発現場跡地に建つ記念碑(9・18記念館)

(海外で撮影した事件現場の一例)

ロシア

  • ウラジオストック(シベリア出兵)
  • ハバロフスク(シベリア出兵)
  • ニコラエフスク・ナ・アムーレ(尼港事件)
  • ウラジオストック港を望む

    ウラジオストック港を望む

  • ハバロフスク駅の全貌

    ハバロフスク駅の全貌

  • 当時の尼港(現在のニコラエフスク・ナ・ムーレ)を丘陵から望む

    当時の尼港(現在のニコラエフスク・ナ・ムーレ)を
    丘陵から望む

中国

  • 大連(日露戦争203高地)
  • 奉天(張作霖爆殺事件、柳条湖事件および満州事変)
  • 長春(万宝山事件)
  • 北京(義和団事件、盧溝橋事件、通州事件)
  • 天津(天津事件)
  • 済南(済南事件)
  • 上海(第1次上海事変、大山事件、第2次上海事変)
  • 西安(西安事件)
  • 南京(南京事件、南京大虐殺)他
  • 日露戦争の激戦地、203高知(旅順)

  • 張作霖爆殺現場(当時の奉天、現在の瀋陽)

  • 万宝山事件の現場跡(長春)

  • 旧通州駅跡(北京)

  • 済南城の城郭、現在は開放閣として公開(済南)

  • 天津市内の風景(天津)

  • 大世界(上海)

  • 西安事件の現場、蒋介石が捕われた
    驪山の山肌(西安)

  • 南京大虐殺記念館前に建つ
    オブジェ名称は母。(南京)

(国内で撮影した事件現場の一例)

  • 日陰茶屋事件、甘粕事件、亀戸事件、浜口首相東京駅銃撃事件、3月事件、
  • 10月事件、血盟団事件、5・15事件、帝人事件、士官学校事件、相沢中佐事件、
  • 2・26事件、他

当時の新聞は事件をどう報道したか!

1939年(昭和14年)9月2日 東京朝日新聞夕刊
ドイツがポーランドへ侵攻、第二次世界大戦勃発の記事

当時の報道は新聞が主体であった。

新聞は事件をどう評価していたのか。
客観的な立場に立って報道していた新聞も、満州事変を境に軍部の行動に対して肯定的な見方に変わっていく。

何故なのか。

さらに数年後には報道規制も強化され、国民統制への一翼を担ってしまう。
200件以上の新聞記事を挿入し、事件検証の側面的役割を期待する。報道の変遷を見ると、柳条湖事件以後の新聞は、軍部の御用機関的存在の色彩が強まっていくのがわかる。 戦争への過程で新聞はなぜ変貌してしまったのか。
報道の責任、使命は如何に…。

  • 1931年(昭和6年)9月19日 東京朝日新聞
    満州事変勃発の記事

  • 1936年(昭和11年)11月26日
    東京朝日新聞号外 日独防共協定調印の記事

現場を訪れたからこそわかった地図!

事件現場がどのような位置関係になっていたのか。
現場の地図を見ることによって、尚いっそうの臨場感が盛り上がった。
地図の中には現場に行って確かめたものや、聞き込みで作った地図もある。

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